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2014-06-04

アートアクアリウムに抗議する

ここ数年、アートアクアリウムなるイベントが開催されている。正直言ってこのイベントは胸糞が悪くなるので中止して頂きたい。今日は、何故このイベントがいけないのか、倫理的に何が問題かということについて語ろうと思う。

アートアクアリウム最大の問題点

最大の問題点は、このイベントの展示が金魚にとって極めて劣悪な環境だということである。環境が魚にとって良いかどうかは、実際に飼ってみないと分からないものなので、多くの人はその劣悪さに気づいていないのだろう。だから多くの人がわざわざこのような悪趣味なイベントに足を運ぶのだ。問題点に気づかなかったという人は是非このエントリを最後まで読んで欲しい。

光によるストレス

金魚は一見すると愚鈍そうに見えるが、実はとても臆病な生き物である。物陰に隠れるのが好きだし、人の気配があるとすぐ奥に引っ込んでしまう。人の気配があると水面にすらなかなか姿を表さない。

ところが、である。このイベントには人が多数押し寄せる上、容赦なく金魚に光が浴びせられる。金魚が隠れられるような物体はなく、金魚は常に恐怖にさらされてしまうだろう。それが金魚にとって大変なストレスになるということは、火を見るよりも明らかである。

過密飼育

満員電車が人間にとってストレスになるように、金魚もたくさんひとつの水槽に詰め込みすぎると大変な負担になってしまう。通常、金魚を含めて魚を飼育するときには、それぞれの水槽に見合った数になるよう入れ過ぎないように注意するものだ。でなければ、すぐに魚が死んでしまう。

金魚は綺麗な魚なので、たくさん泳いでいる姿は確かに美しいものだ。だが、だからと言って過密のまま放置して良いという理由にはならない。展示をするにしても適切な数をキープするべきだ。

水が綺麗過ぎる

アートと称して金魚の美しさを際立たせるためか、水槽の中の水があまりにも綺麗過ぎる(透き通っている)ように見える。魚を飼育した経験がない人は、水は透き通っていたほうが良いと考えるかも知れない。だが実際のところ、金魚にとってそのような綺麗過ぎる水は、魚にとって大変厳しい環境なのである。

魚だけでなく、あらゆる水棲生物は、水にバクテリアが含まれていないと生きてはいけない。水槽へ水を入れるとき、そのまま水道水を入れてはダメで、カルキ抜きを事前にしなければいけないということは、魚を飼ったことがない人でも知っているかも知れない。なぜカルキを抜かないといけないかというと、それは水槽の水に含まれるバクテリアを殺さないようにするためだ。カルキは殺菌力が強く、水道水を安全に保つために必要だが、水棲生物にとってはダメージになる。と言っても魚そのものがカルキでダメージを受けるからではない。魚にとって必要なバクテリアがダメージを受けてしまうのである。水槽を良好な環境に維持するということは、水に含まれるバクテリアを維持するに等しい。バクテリアのバランスが崩れてしまうと魚は早々に死んでしまう。金魚にとっては、むしろグリーンウォーターと呼ばれるぐらい、珪藻などが豊富に含まれた濁った水のほうが適していたりする。

あのような透き通った水の中に入れられると、どれだけの金魚がイベント開催中に死んでしまうか心配でならない。

金魚の生態を無視している

アートアクアリウムへ足を運び、激しい光に照らされ、品種改良(改造?)された金魚を見ると、なんだか愚鈍そうで、何も考えずにただひたすら泳いでるような印象を持たないだろうか。だが、それは金魚の本当の姿ではない。アートアクアリウムで展示されている金魚を見ても、金魚が美しいということは分かるが、金魚が一体どのような生物であるかはさっぱり分からないだろう。どのような性格で、どのような物を食べ、どのような行動パターンを取るかといったことだ。

金魚だって生き物だ。必死にエサに喰らい付くし、身の安全には常に気を配っているし、それぞれ性格も違う。金魚は繰り返し品種改良され、もはや自然界では生き延びることができないような姿に変わり果てている。(人は何と罪深いことだろう!)だが、それでもやはり生き物であることには変わりはない。生き物であるという側面を無視し、ストレスの高い環境へ閉じ込め、姿形だけをアートと称して鑑賞するのは如何なものか。それは倫理的に間違ったことではないだろうか。

まとめ:魚を見たければ水族館へ行こう

もしあなたに人の心があるのなら、何となく綺麗だから、流行っているからという理由で、アートアクアリウムへ足を運ぶのを止してもらいたいと思う。確かに展示物は美しいかも知れないが、金魚の生命を蹂躙したもの、あるいは危険に晒した上で成り立っているものだからだ。表面的な美しさだけに囚われ、他の生命への思いやりを忘れてしまっては、どんどん人の心を失ってしまうことになるだろう。人が生きる上で、他の生命の犠牲は避けて通ることはできない。だからと言って、犠牲に対して鈍感になっても良いということではないのである。また、金儲けのために生命を蹂躙しても良いということはないのである。

アートアクアリウムの開催者に対しては、金魚を虐待するのを止めて頂きたく、ここに強く抗議する。

魚を鑑賞したければオススメのスポットがある。それは水族館だ。水族館と言えど魚にとって少なからずストレスはあるが、アートアクアリウムよりはずっとマシだ。水族館では長期飼育を前提に環境を整えているので、魚がすぐに死んでしまうほどのストレスはかからないよう配慮がされている。また、小規模ではあるが、水槽はそれぞれの魚が生きている環境を模したように工夫されており、何の中身のないアートよりも見応えがあるし、魚についてもっとよく理解することができるだろう。

追記:2014-06-05

改めて記事を読みなおしてみて、まとめが非対称であることに気がついた。「魚を見たければ水族館へ行こう」というだけでは片手落ちであった。もうひとつ必要だ。「アートを見たければ美術館へ行こう」

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