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2014-06-02

ホワイトカラーの生産性を上げる方法

先日、新「労働時間制度」創設へ検討指示 NHKニュースという記事(魚拓)が上がった。この記事を読む限りでは、政府はホワイトカラーの人たちの生産性を向上させるために新労働時間制度を創設しようとしているように見える。だが待って欲しい。労働制度を変えることで本当に生産性が上がるのだろうか。今日は、政府が行なっている議論の問題点についての指摘と、本当にホワイトカラーの生産性を上げる方法について考察してみよう。

政府は論点がずれている。なぜならば、結論ありきだから。

まず、新労働時間制については次のように職種を限定した議論が行われているように見受けられる。
そして具体的な業種や業務について、経営企画や新商品の開発、海外プロジェクトなどを担うリーダー、それにITや金融関連のコンサルタント、資産運用を行うファンドマネージャー、経済アナリストなどを挙げています。
一方、田村厚生労働大臣は年収が数千万円に上る為替ディーラーや経済アナリストなど、ヘッドハンティングを受けて世界の企業で活躍するような人であれば、経営側から長時間労働を強いられることは考えにくいとして、高度な専門職に限って創設を容認する考えを示しました。
ここまでは良い。だが次がいけない。「将来は一般労働者も適用を」というのが問題だということは、前回のエントリでも書いた。なぜ一般職に拡大してはダメかということはひとまず横に置いといて、何故彼らが一般労働者へ新労働制の適用範囲を拡大したいのかについて考察しよう。

NHKのニュース記事に書いてあることを真に受けるならば、新労働制を適用する目的は生産性の改善であるということになる。即ち論点はこうだ。「果たして残業代を無くしたらホワイトカラーの生産性は上がるだろうか?」

ごくごく常識的に考えると、単にホワイトカラー労働者の生産性を改善したいだけなら、残業代の有無とは相関がないか、もしくは悪影響が出ると考えるのが自然ではないだろうか。無理な仕事量を押し付けられるというのは、労働者にとって理不尽ながらもよく目にする光景であると思う。それを残業代ナシでこなさなければならないとなれば、少なからずやる気が失せるだろう。

「残業代を無くしたら生産性が改善した」という統計的なデータでもあるのだろうか。そういった客観的なデータも無しに議論をしているのだとしたら、結論有りきだと言われても仕方がないのではないか。単に残業代を無くしたいだけ、企業の出費を減らしたいだけだ。言い換えると、労働者を搾取したいだけだ。そのような倫理的に破綻した企業が跋扈している日本の未来は正直暗いとしか思えない。

ホワイトカラーの生産性が低いという前提がおかしい

ホワイトカラーの生産性を向上させなければならない・・・という議論は、ホワイトカラーの生産性が低いという前提の上で行われるものだ。だが待って欲しい。果たしてその前提は正しいのだろうか。

日本のホワイトカラー労働者の生産性が高いか低いかということについて、私ははっきりとした答えを持ちあわせてはいない。だが、周囲を見回しても優秀な人はたくさん居おり、彼らの生産性が低いとは到底思えない。特に技術者は優秀な人がたくさん居るように思う。

だが、管理職や経営者となると話は違ってくる。個人的な経験の話で申し訳ないが、これまでの経験上、あるいは伝聞したものを含めても、生産性が高いと思えるような管理職は極めて珍しい。ビジネスモデルを理解し、どうすればそれが効率化するか、あるいは顧客にとってのメリットが向上するか、それにより競争力が増すか、そのためにチームをどう運営すべきか。そういったことに貢献した管理職を見る機会というのは、隕石が地球に落下する確率より低いのではないかとすら思える。管理職と言えば自分は極力ミスをしないことに注力し、できるだけ多くのライバルに貸しを作り、権力闘争にあけくれるというのが大半だ。そういった人たちが自分の権力を強化するために引き込んだお友達はさらに始末が悪く、仕事らしい仕事は何もしない。

(これまで経験した中では、MySQL ABだけは管理職が優秀だった。小規模なため皆がビジネスモデルをよく理解しており、それに即した人員配備やプラクティスの共有が徹底され、その結果極めて優秀な組織が出来上がっていた。)

ホワイトカラーと言っても様々な職種やポジションがあるので、ひと括りにして論じるのは非常に危うい。まずは管理職のパフォーマンスについて改善、あるいは観測してみてはどうだろうか。管理職は既に裁量労働制になっているかも知れないが、末端のホワイトカラーのパフォーマンスの良し悪しよりも、事態はずっと深刻なはずだ。

ちなみに余談だが、日本のホワイトカラーは生産性のばらつきが大きいという指摘があるようだ。であれば経営者がしなければならないのは、ホワイトカラーの人々の成果が何であるかを明確に設定することであり、「良い成果を残した人により良い報酬を与える」という当たり前のことを実施するということではないだろうか。

最も問題があるのは経営

経団連に所属する某巨大企業に務める友人から聞いた話なのだが、その企業では役員が持ち回りで1年ごとに事業部を転々とするらしい。(とても大きな企業の話なので、読者の中にも心当たりのある人が居るかも知れない。)1年ほどひとつの事業部をし切ったら、また別の事業部に移るということだ。その話を聞いたとき、私は椅子から転げ落ちそうになった。ままごとかよ!!

たった1年で事業部のコアとなるビジネスモデルを理解すること、そして何らかの改善をすることなど不可能に近い。1年も経っていなければ、各事業部で何をやっているか、どのように利益を出しているかといったことを把握することすら難しいのではないか。ぼんやりとした輪郭なら見えるかも知れない。だが、自社の強みが何であるか、顧客が何故自社の製品やサービスを購入しているか、ライバルより秀でているのはどういった点か、何故そのような強みが生まれたのかということまでは理解できないのではないか。

「利益を出せ」と言うだけなら誰だってできる。己のビジネスモデルを理解し、どうすれば利益が出るか、会社の方向性をどちらに舵を切るべきかという判断ができてこそ経営者と言えるのではないだろうか。ままごとのようないい加減な経営をしておいて、ホワイトカラーの生産性が低いなどと嘆くのは見当違いも甚だしい。

データベースに例えると、いくら優秀なハードウェアを買い揃えても、実行計画が良くないとクエリは高速に実行されない。いくら高速なフラッシュストレージを搭載しようが、いくら高速なCPUを搭載しようが、例えすべてをインメモリにしようが限界はある。それよりも重要なのは如何にクエリの実行計画を効率的なものにするかということだ。そのためには当然データベースの設計をしっかりやっておく必要があるし、それ以前にアプリケーションの要件を正しく理解しなければならないだろう。

企業において実行計画を立てるのは経営者の仕事だ。だから経営者はビジネスモデルをよく理解し、収益を上げるのに適した組織を設計しなければならないということだ。そうしなければ、いくら優秀で生産性が高い人材を揃えたところで、ビジネス全体のパフォーマンスは向上しない。自らの実行計画のまずさを差し置いて、経営がうまく行かない要因をホワイトカラーの生産性に求めることなどもってのほかである。1年で事業部を持ちまわるというような、何の戦略もない経営ではビジネスが上向くワケがないだろう。

ところで、1年で役員が事業部をローテーションするような経営は、データベースのクソな実行計画にちなんで、テーブルスキャン経営と呼びたいと思う。いや、そんなことを言ったらテーブルスキャンに失礼か。テーブルスキャンは場合によっては最適な実行計画であり得るのだから。

環境を整備せよ

「生産性を向上しよう」と言いつつ、その一方で無闇なコストカットをしてパソコンなどの機材を安物に変更するのは矛盾しているように思う。どうも市場に出回っているパソコンなどのスペックを見ていると、「ビジネス用」と言われるものはショボいハードウェアを搭載したものを指すことが多いようだ。企業側もそのような安物の機材を喜んで調達しているように見える。

コストを抑えると称して、社員が解像度の低いモニター、遅いCPU、遅いハードディスク、少ないメモリといった環境を与えられているとい話を聞くと、経営者は脳みそ腐ってんのか!!そんなクソな環境でパフォーマンスが出せるワケないだろ!!ふざけてるのかイカれてるのかどっちだ!!と言いたくなる。いや、言わないけど。

弘法筆を選ばずということは現実ではあり得ない。スポーツ選手を見ればいい。みんな道具に強いこだわりを持っている。良い成績を出している選手はほぼ例外なく優れた道具を使っている。経営者は弘法筆を選ばずなどという精神論は捨て去るべきだ

ホワイトカラーのパフォーマンスを向上させたいなら、まずは労働環境がボトルネックにならないような配慮をすべきである。中でもパソコンを始めとする情報機器は特に重要なのだから、そこはケチらずにもっと投資すべきではないか。1年に1度、最新のマシンに買い換えられるぐらいの配慮があっても良いと思う。

この点で行政側ができることがひとつある。それは固定資産の扱いだ。パソコンなどの情報機器はそれなりに高価であるにも関わらず、極めて陳腐化が激しいという性質を持っている。ここで、20万円以上は固定資産と見做されるという決まりが足かせになる。企業がもっと容易にパソコンを購入したり買い換えたりできるように、パソコンなどの情報機材については一括償却できるといった特例を設けるべきではないか。少なくとも、残業代をカットする政策よりは効果と目的がはっきりしていると思うのだが如何だろうか。(脱線してしまうのであまり話を広げないが、そもそも固定資産という制度が企業にとって大きな負担になっているように思う。抜本的に制度を見なおしたらどうだろうか。固定資産の対象とするのは不動産ぐらいで良いのではないか。)

企業文化を改善せよ

テーブルスキャン経営のようなふざけた組織運営や、社員をコストとしか見ないような体質は、巡り巡って終身雇用および年功序列を堅持しようとすることが問題の根底にあるように思う。定年を迎えるまで、シニアはいくらパフォーマンスが悪くても給料は下がらないしクビにもならないし、ぬるま湯に浸ってきた人が経営者になったらまともな経営もできない。(企業幹部は経営のプロがなるべきで、年功序列で人選すべきではない。ましてや、権力闘争の勝者がなるべきでもない。)

ホワイトカラーのパフォーマンスを極限まで改善したければ、最終的には年功序列をやめるべきだ。成果によって、あるいはその人の持つパフォーマンスによって給料が決まるような仕組みに変えるべきだ。ただし、そのためにはまず企業の幹部自身が、成果によって正当に評価されるようにしなければならない。幹部はナアナアのテーブルスキャン経営で、現場だけに成果主義を押し付けるようでは企業に成果主義は根付かない。企業文化はトップダウンでなければ変わらない。企業に成果主義を根付かせるには、まずトップから成果主義を体現しなければならない。明確にビジネスモデルを理解し、真っ当なKPIを洗い出し、具体的な数値でゴールを設定できるような人材だけが幹部に居ても良い。そういう文化にすべきである。

これまで年功序列でよろしくやってきた企業が(幹部を含めて)、いきなりそのような文化に変わるのは難しいだろう。それと同ぐらい、いやそれ以上に、いきなり一般社員の残業をゼロにするのは無理がある。

まとめ

ホワイトカラーの生産性を向上させたいなら、まず企業は経営、環境、文化を改善すべきだ。それが出来ないなら現行の制度に甘んじるべきであり、残業代をカットする口実に、新労働時間制度などを導入するようなことがあってはならないのである。

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