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2013-07-01

ネットの暴力性

ブログで問題発言をして炎上した県議が自殺と思しき状況で死亡したという痛ましい事件が起きた。皆さんの中にもご存知の方が多いだろう。

岩手県議:小泉氏死亡、自殺か 病院非難でブログ炎上- 毎日jp(毎日新聞)

この件について様々な言論が飛び交っているが、皆一様に大切な点をスルーしているようなのでひとこと言っておきたい。

小泉氏は攻撃されて当然なのか


この件に関するネット上のコメントを見ていると、「炎上したのは自分の責任なのだから責められても仕方がない」「自業自得」「同情できない」というようなコメントが非常に多い。問題行動をしたら責められて当然なのか。もちろんその行動自体については諌められるべきだろう。だが、炎上した場合には本来許されるべきではないような非難のコメントが目立つ。

そう、相手の人格を否定するような発言だ。

「バカ」「死ね」「クズ」「死ねばいい」。小泉氏にはこのような暴言が多数投げかけられた。これらは全て他者の人格や尊厳を傷つける言葉であり、本来は絶対に使ってはならないものである。人格や尊厳の否定は、すなわち人権の否定に他ならないからだ。人は誰しも人権が等しく与えられており、何人たりとも他者の人権を踏みにじってはならない。一般常識に照らしあわせてどんなにおかしな行動をとっても、どんなに奇想天外な考えの持ち主であっても、例え凶悪な犯罪を犯しても、人権は決して否定されることがあってはならない。犯罪者は法で裁かれ自由を奪われたり、ときには死刑になることもあるが、それはあくまでも法によって平等に裁かれた結果であり、人権はあくまでも否定されてはならないのである。(死刑の是非についてはここでは議論しないでおく。)

「死ねって言われたら本当に死ぬかも知れない。死ねって言った奴に責任がある」というような言論もあるが、それ以前に「死ね」というようなことは言ってはならない言葉なのだ。従って、私は小泉氏は攻撃されるべきではなかったと考える。氏が不特定多数によって攻撃されたことは残念でならない。

プライバシーについて


小泉氏は公人なので表に立つ必要のある人物であった。だが、公人だからと言って、それをもってただちにすべてのプライバシーを否定されるわけではない。誰にとってもプライバシーは重要である。

今回の件で、まるで言い訳でもするかのように「小泉氏に問題があったのではないか」という様々な憶測がなされている。例えば「身近な人からも非難されたのではないか」「元から言動がおかしかったので精神的に問題があったのではないか」というようなものだ。

もしあなたがそのような憶測をしているのなら今すぐ止めるべきだ。はい、ストップ。こういったことはプライバシーであり、人権と同様、やはり犯してはならないものだからだ。例えそういった事実があったとしても、プライバシーは尊重されなければならない。ましてや、憶測であたかもそういう事実があるようなことを言うのは問題外であると言える。

プライバシーの侵害、ダメ、ゼッタイ。

ネットイナゴは非難されるべきなのか


今回の騒動で「死ね」等の発言をした人は非難されるべきなのだろうか。もちろんその行為についてはYesである。いつなんどきであっても、相手の人格を否定するような言動は控えねばならない。ただし、「死ね」といった行為を咎められたとしても、それによって暴言を吐いたその人の人権がなくなるわけでもない。大勢で「死ね」といったら相手が自殺した。それはとても悲しいできごとであり、ネットリンチともいうべき酷い言動については非難されても致し方ない。そのような言動をしてしまった人は反省するべきだが、その行為によって人権が否定されるということもない。どんなに過ちを犯してたって、人には生きる権利があるのである。

今回の件に関して私は当初無関心だったので特に暴言を吐くということはなかったが、もちろん私も過去には数々の過ちを犯してきたし、きっとこれからも犯すことだろう。決して自分自身が清廉潔白だなどとは思っていない。だが、キリストの言葉ではないが、人間誰しも過ちは犯すものだ。過ちを犯すことが、人権を侵害して良い理由にはならないのである。罪深い私にも人権があるように、ネットイナゴと呼ばれる行為をしてしまった人々にも人権はあり、それは絶対に無くならない。間違ったことをしたら、まずは反省すべきである。

ネットイナゴのような不特定多数からの様々な暴力は過去に戦争に突き進んだ社会と似ているように思う。戦争の責任を特定の個人だけに問うてはいけないのと同様、今回の事件の責任を誰かひとりのせいにしてはいけない。だからといって開き直ってもいけない。全員一人ひとりが真摯に反省するべきものであるといえよう。

よりよい社会にするために


ネットは言論の増幅装置である。情報が瞬時に行きかうことで、ひとつひとつの声は小さくても、それが束になることでとても大きな言葉の暴力になってしまう。炎上すればたちまちそのような言葉の波が押し寄せて来るだろう。

炎上による私刑がまかりとおる世の中は生きづらいと思う。そのような世の中にしないようにするには、全員が自らの言動に気を配るしかない。特に主張したいのは冒頭で述べた2点だ。

  • 他者の人格、人権を否定するべからず
  • プライバシーを尊重せよ

全員がこの点を守ることができれば、インターネットはもっと快適になるし、仮想空間だけでなく現実の世界も良い物になるだろう。

言論の自由


言論ないしは表現は自由だから、他者への人格の批判も自由ではないかと屁理屈をいう人が居るかも知れない。だが、実際に存在する人物に対する人格の否定は表現の自由の範疇を超えている。仮想的なストーリーの中でなら表現の自由の範疇だし、人格ではなく行為そのものへの批判なら言論の自由に当たるだろう。だが、言論によって他者の人格を否定、ないしは人権を攻撃してはならない。

あなたがネットの暴力から身を守る方法


インターネットを使えば手軽にコミュニケーションを取ることができる。そのため、見ず知らずの人から突然攻撃的な言葉を投げかけられるということもあるだろう。だが、そのような言葉に対してひとつひとつ相手にする必要はない。なぜならば、我々にはそのような義務はないからである。回答するかどうかは個人の自由であり、不快なコメントは無視して構わない。単に嫌だから、面倒だから、時間がないからという至極個人的な理由であってもいい。どう対応するかは完全に個人の自由だ。不快な相手に対してわざわざ疲れるのに相手をするのは馬鹿げている。不快な思いをしたら、ネットを介したコメントや問い合わせに回答する義務はない、嫌ならしなくてもいいということを思い出して欲しいと思う。(ちなみに、個人的には「バカ」等の言葉で罵倒してきた相手は無視することにしている。)

それでも執拗に追い回してくる人が居たら、それが何らかのウェブサービス上であれば、そのサービス上でブロックする、あるいは運営側に相談する、もっとひどい場合には警察に相談するといった対応が考えられる。大抵の場合はブロックすれば解決する。自分に投げかけられたコメントでなくても、いつも不快なコメントをしている人が居たらブロックすればいい。それだけで精神衛生的にはかなりいい。厄介な相手には絡まれた時点でかなりの時間的な犠牲、精神的な苦痛を強いられることになる。この点については如何ともしがたいところではあるが、一人では抱え込まず、まずは運営や友人、警察等に相談するべきである。

まとめ


最後に、ついネットで相手を攻撃してしまうという人に対してひとこと言っておきたい。

ネットでは相手からこちらがどういう人物なのかは分からないことが多いし、例え暴言を吐いたところで自分にダメージがあるわけでもないので、人はネット上ではつい攻撃的になりがちである。(特に匿名掲示板ではその傾向が酷いように思う。)だからこそ、言葉の暴力はいけない、相手の人格を尊重しなければならないということをより一層意識すべきだ。ネットを介しているからこそ、互いを傷つけないために、ネットの向こう側に居るその人の存在をより強く意識する必要がある。

そして最も重要な点は、暴言を吐くという行為はあなたのためにはならないということだ。暴言を吐いたところであなたは幸せにはなれない。一時的にはスッキリするかも知れないし、相手に精神的な苦痛を与えることで万能感が得られるかも知れない。だが、暴言を吐くことによって自分が偉くなれるわけでもないし、むしろ自分の価値を貶めることの方が多い。何より暴言を吐くことで心が貧しくなってしまう。心が貧しいままでは人は幸せを感じることはできない。あなたの人生はあなたのものだから、私がとやかく言う問題ではないが、それを分かった上であえて「自分を苦しめるような真似はやめろ」と言いたい。

では暴言を吐きたくなったらどうすれば良いだろうか。ベストなのはいったん思考をリセットして、忘れてしまうことである。それが出来ないなら仲間内で愚痴ってもいい。本当にどうしても止められないならそれは中毒かも知れないので、しばらくネットから離れて生活するのも良いだろう。ほとんどの人にとって、生活はネット以外のところにあるのではないだろうか。人生にとって何が本当に大切なのか、ネットで暴言を吐いて時間を無駄にして本当に良いのか、それで心を貧しくしてしまっても良いのか。そのことをしっかりと考えて欲しいと思う。

過ちは誰でも犯すものである。他人が間違えたときは他人を赦し、自分が間違えたときは自分を赦し、そしてみんなが一緒に幸せになったほうが世の中楽しいじゃないか。自戒の念も含め、「暴言を吐くのはよそう、そして自分の心を大切にしよう」というメッセージで本エントリを締めくくりたいと思う。

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