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2010-04-05

孫正義氏による至高のスピーチ 〜 登りたい山を決める!

Ustreamでライブ放映された孫正義氏によるスピーチが最近ネットを賑わせている(?)のだが、俺も正直感動したクチだったりする。俺はソフトバンク社がこれまでどのような道のりを歩んできたかということについて詳しくは知らないし、孫正義氏と会ったこともない。しかしこの講演は熱い。それは断言できる。多くの人々に勇気を与えてくれるものであることは間違いないのである!

まずは見よ。

Ustreamの録画は公開が今日までらしいので、スピーチの書き起こしを見るのがいいだろう。これだけでも充分に一見の価値はある。おちゃらけブロガーちきりん氏も述べているが、とにかく見よ!話はそれからだ。いくら外野が何を言ったところで、このスピーチに勝るほど雄弁に語ることは出来ないのだから。

以下、俺の感想などを書き綴ってみよう。ただしネタバレ注意。 

高い志を持つ。

孫氏のスピーチは、一貫して「高い志を持て。人生において登るべき山を決めて突き進め!」というテーマで統一されている。高い志を持つということ。それは口で言うのは容易いことだし、もう何万回も何億回も言い古されたことだろう。しかし孫氏のスピーチは説得力が違うのである。その一貫したテーマを、孫氏の半生をなぞって極めて具体的に、そして印象的に語っている。体験を交えた話だから心にズバッと響く。俺も人生無駄にしちゃいけない。スピーチを聴いてそう思うことが出来る。これを生で聴いていた学生さん達なら尚更燃えたことだろう。こういう人がトップに立つ会社は正直羨ましい。

登り始めるのに遅すぎるということはない。

孫氏は語る。

「自分の登りたい山を決めないで歩くのは、さ迷うに等しい。」

と。早く志を持ち、自分の人生を無駄にするなと。

いや、まさにその通りだ。何かに挑戦しようと思ったら、手をつけるのが早ければ早いほど達成出来る確立は上がる。ましてや、若いパワーのある頃に物事に打ち込める事ほど有利なことはない。

そうすると、年を食ってしまった人の中には「俺はもう年だから・・・」「今さらいきり立ったところで何もできやしねぇよ」などと最初から諦めてしまう人も出てくるだろう。しかし、そんなのは関係ない。人間誰しもがでっかいことを成し遂げられるわけではないし、思い通りに行かないのが世の常である。だが、諦めていては何も出来ない。山は小さくても良い。自分の山を見付けて登って「楽しい人生だった!」と満足して俺はこの世を去りたい。だから思い立ったら始めるのはいつでも良い。始めなければ永遠に彷徨うだけだから。

自分は結構遠回りした。

俺は今でこそフリーソフトウェアの重要性に気付いて、フリーソフトウェアの普及こそが自分の人生をかけるべきテーマだと思って日々闘志を燃やしているわけだが、そう思うに至るまでには結構な回り道をしてきたものである。学生時代はPCゲームに明け暮れてとことん極めようと思ったりもした。サラリーマンになっても日々ゲームを研究した。確かにPCゲームはとても上達して、そこにあった山は登ったように思う。しかし、膨大な時間をつぎ込んだ割には、あまり大したものは得られなかった。(筆者が手を染めていたのはリアルタイム・ストラテジと呼ばれるジャンルだったので、実践的な戦略を組み立てるための理論を構築することは出来たが、それが誰を幸せにしたというのか。)

登る山が違ったのだ。

俺の場合、幸いにして学生時代やサラリーマン時代に様々な出会いがあり、本当に登るべき山を見付けることが出来た。だが、それはもう三十路にさしかかろうという時期だった。孫氏が16歳で思い立ったのと比べると、遙かに遅いスタートとなった。けれど、道が決まったら後は進むだけだ。年齢なんて関係ない。今までの人生を大いに無駄にした。それはいくら悔いても戻ることはない。だったらこれからの人生、無駄にしないよう頑張ればいいじゃないか。

芸は身を助くる。

「俺はこの山に登るんだ!」

そう思い立っても、登るだけの能力がなければ結局麓を彷徨って人生を終えることになるだろう。もし、まだ自分の山が見つかって居ない場合には、自分の能力をひたすら磨いておくといい。孫氏は若かりし頃、とにかく勉強しまくっていたようだが、それは後の人生で大いに役立ったことだろう。渡米経験があり、英語力が堪能だったのもきっと大きな助けになったに違いない。人脈も役だっただろう。知識、語学力、人脈などなど・・・。まだ道が決まっていなければ、とにかく力を溜めこんでおくことだ。

俺の場合も幸いにして、コンピュータ関連の知識と語学力(留学経験はないけど)は今大いに役立っている。

初心者の視点も大事。

人は誰しも言葉も知らない赤ん坊として生を受ける。そして徐々に両親や友達、先生などから知識を吸収して、大人になり、さらには専門的な知識を身につけるに至るのである。「この分野に進もう。」そう思ってまだ何も知らないながらも参考書を手に取る。人は誰だって初めは初心者だ。

初心者といえども、皆個性は違うから、感じ方は千差万別である。ひとりひとり、成長する過程で見える景色は違うのである。成長の過程では、きっと日々驚きや新しい発見があるだろう。だからこそ、たとえ語り尽くされたことであっても、改めてブログに書くことには価値がある。

孫氏は、同じ会社に入った人々を同志と言うけれども、同じ惑星に住む人々だって同志じゃないか。インターネットを通じて、ブログというメディアによって、お互いに道しるべを教え合うのだ。それって、何だか素敵な事じゃないだろうか。

高い志

フリーソフトウェアとは我が心の師匠であるリチャード・ストールマンが提唱した考えである。それを人生の目標にするというのは、何だか人のフンドシで相撲をとるような印象を持たれてしまうかも知れないが、そんなことはどうでもいい。問題は事を成せるかどうか、それだけである。

人々にとって、もっとも大切なものは「自由」である。自由な意志がなければ、事をなすどころの話ではない。自由のない人生などには何の意味もないだろう。自由が大切なのは、単に身体の自由だけではない。言論の自由、思想の自由、職業の自由、契約の自由、どれもこれも全て重要である。とりわけ、俺が人々に大切さを認識して貰いたいのが、ソフトウェアの自由だったということだけである。自由のないソフトウェアは、自由のない言論と同じである。

出来ることが限られている。自分に必要な機能を追加出来ない。データの形式が分からない。自由でないソフトウェアにはそのような制限が常につきまとっている。ソフトウェアはこれからの時代、社会においてますます重要性を増していくことになるだろう。ソフトバンクだって社名はソフトウェアに由来しているのだ。社会が健全にあるためには、ソフトウェアの自由が欠かせないと確信している。それこそが、俺が登るべき山なのである。

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